情けは人のためならず
私が今よりずっと若かったころは、この言葉は間違えて使われることが多い代表の言葉だった気がします。
今では、間違われて使いやすい言葉として有名になり、正しい意味を理解している人の方が多いようですが。
年を重ねるにつれて、本当に自分の周りにいてくれる人、助けてくれる人に感謝の念が沸いてきます。
いずれは自分に還ってくるもの、と思えば多少偽善じみて思える行為も恥ずかしくなくできる、というのがこの言葉が私を支えている所以かと思います。
あまり、素直な気持ちではないですね。w
人を助ける、というと大層な響きですがちょっとした気遣いで自分の気持ちが楽になることはたくさんあります。
また、自分の周囲に居てくれる人に感謝、というとこれまた大仰な響きですが、絶対的な事実として、人が一人で生きていくのは本当に大変で難しいことです。
働いて、自立して、一人で生きている!という人もいるかもしれませんが、無人島で自給自足の生活をしてでもいない限りはどうしたって人のお世話になっているのです。
誰かに雇ってもらって、もしくは誰かを雇って仕事をし。お客になってくれる人がいて収益になり。物を売ってくれる人がいて、それを買うことができ。
人の立場は、一つではありません。絶対の消費者も、絶対の生産者も存在はせず、誰もが作る人であり、使う人であり。
情けをかける人であり、かけられる人であると思えば、いつかかけていただく(もしくはかけていただいた)情けはめぐるものと自分をなぐさめて、日々のちょっとしたイライラを解消するのがわたしのこの言葉の使い方です。
それでも抑えようもなくイライラしたり、腹が立って悲しくなったりするときは、因果応報、人は自分の鏡、人の振り見て我が振り直せ、と唱えることにしています。
穏やかな時間を過ごしたいときは、日日是好日。
昔の人の知恵や言葉はいつでも人生の助けになります。
ありがたいことです。
そんな殊勝な気分になりながら、写真は思い出のNZ。すべてが絵になる。